強訳 -強引な翻訳-

英字新聞の見出しを一つ翻訳する日記

12月7日

もうとっくに終わっていて先がないとわかっていても、なかなか簡単には終わらすことができない。
つい、まだいけるだろうとか、もう一回だけと縋ってしまう。
こういう時にスパッと終わらせておけば良い思い出だけが残り続けるというのに、ダラダラといつまでも引っ張り続け、最後のドロッとした嫌な部分が強調されてしまう。

もう何日目だろうか。
オンギの中身はだいぶ減ってきていた。
味は少しずつ熟成されて今でも変化していて、さらに少し酸味を増してきていた。
嫌な酸味ではない。
まだ嫌というほどまでにはなっていないけれど、確実に酸味は増してきているのだ。
そして発酵されているせいか発泡感もある。
もう残り少ないのに貧乏ったらしくチビチビと食べていて、さらに今はそこにキュウリをトントンと丸太みたいに切って、塩で一日漬けたものを、キムチと一緒にオンギの中に突っ込んでいる。
すると次の日には立派にキムチに仕上がっている。
キュウリは新しい環境にすぐに馴染めるらしい。
そのシャキシャキとした、まるで運動部の新入部員のハキハキとした受け答えのような歯応えは、少しどんよりとしたオンギの中で一服の清涼剤として存在していた。

でも全体としては全盛期の頃のあの無邪気なキラキラとした輝きはなくて、徐々に味が落ちているのはわかっている。わかっているけれど失うことが怖くてダラダラと続けてしまっているのだ。

当初懸念していたオンギと味噌の壺の2つ持ちはなかなかうまくいっているように思えた。
そして実際うまくいっていたのだけれど、でも自分のちょっとしたミスでその関係も終わっていた。
味噌の壺の方がもう無くなってしまったのだ。厳密にいえば味噌はまだ残っている。
いつも味噌を使いやすいように一定の量を壺からタッパーに入れ替えているのだけれど、それが今日タッパーに入れたのが最後になってしまい、味噌の壺が空っぽになってしまったのだ。
別にオンギの方だけに気を取られていたわけではなかったのだが、オンギは毎日覗かなければならなくて、味噌は今まで頻繁に気にしなくてもうまくやっていたのだ。
どうしても手の掛かる方ばかり見てしまうのは人間も壺も同じだった。
だから終わりを迎えそうなことに気が付いていたはずなのに忘れていた。

The Wall Street Journal
China scraps most Covid testing, quarantine rules
(中国はほとんどのcovidの検査と検疫のルールを廃止した)

もういい時期だと思う。
これを機にオンギも終わらせよう。
そしてタッパーの味噌が残っているうちに、また味噌を作る。
近いうちに大豆と麹を手に入れないと。
明日は今回最後のキムチになる。