強訳 -強引な翻訳-

英字新聞の見出しを一つ翻訳する日記

12月15日

Freedom is beyond responsibility

最低気温はぎりぎり氷点下には届かなかったようだ。

これだったらいっその事いってくれたらいいのに、と思ったけれどどんよりした曇り空の時に、これだったらいっその事雨が降ったらいいのにと思った結果雨が降り、結局濡れて不快だったことを思い出した。

氷点下になったらやっぱり路面が凍ったり野菜に影響したり、犬の散歩が億劫だったりしてみんな大変な思いをするのだろう。

道を歩いていたら道端に手袋が落ちていた。
くるっと2つを一組に纏められた状態で落ちていた。
持ち主が寒くてポケットから手袋を出そうとして落としたのだろうか。
でも、こんな途中で落ちているということは、歩いていて体が温まってきて手袋を外したのちに落としたのかもしれない。
どちらにしても落としたことに変わりはないのだけれど、あとの方が何だかまだマシに思えた。

そこから100mほど歩くと今度は靴が落ちていた。
男性モノの革の靴だった。
なぜか紐が全部外されていて横に一緒に置かれていた。
前に駐車場の真ん中で、付き合いたての彼氏の車でのデートでこの後おいしいレストランにでも行くのだろうなぁと思われるピカピカのハイヒールが、キレイに揃えられて忘れられているのを見たことがある。
きっと新しく付き合った彼氏の車が土足禁止なので車に乗る時にハイヒールを脱いで、会話に夢中でついそのまま車に積み込むのを忘れてしまったのだろう。
キレイに揃えられたピカピカのハイヒールが、両親に大事に育てられたのだろうなぁと微笑ましく思えた。

でもここは駐車場ではなく、何の変哲もない歩道沿いの花壇の横で、革靴は少々くたびれていて、そして揃えられてもおらずべちゃっと置かれてあった。
ひょっとしたらどうしても仕事に行くのが嫌で、でもまじめだから病気などの嘘もつけずに思い切って靴を捨てたのかもしれない。
たしかに靴がなければ仕事に行くことはできない。
靴の持ち主は頭がいいようだった。

靴下は置いてなかったので、そのまま履いているのだろうか。
それで何とか足が冷えてなければいいが。
人生はまじめに生きていくだけで大変なのだ。

あらためて気温が氷点下を下回らなくてよかったと思った。
そう思って歩いていると前方に半袖のシャツ姿で歩いている男子学生が目に入った。
下は学生服のズボンで上は白の半袖のシャツだった。
実は自分も学生時代の冬の時期に学ランの上着を着ずに長袖のシャツ一枚で通っていたことがあった。
しかしどうやら彼はそんな自分を軽く超える男だった。
半袖と長袖の違いもあるけれど、そんなこと以上に彼は纏っている精神が立派だった。
なんと彼は学ランの上着を紳士のように畳んで手に掛けて持って歩いていたのだ。
自分は親や先生に「制服を着なさい」とちょくちょく言われていたが上着はいつも家に置きっぱなしだった。
しかし彼はそうではなかった。周りに配慮できる男なのだ。
だから彼はちゃんと上着を持っているのだろう。それもしっかりとキレイに畳んで。
それは彼なりの責任だった。
でも彼は暑いのか窮屈なのかはわからないけれど、何かしらの理由で脱ぎたかったのだ。
そしてそれは彼の自由だ。

The Japan Times
Same levy, different name: Reconstruction tax to be shifted to defense spending

(同じ徴税で異なる名称:復興税は防衛費に転換)

道行く多くの人がたくさん着込みしっかりと厚着をして背中を丸めて歩く中、薄着の彼の歩く姿は凛としていた。
途中、彼の横を通り過ぎた女子高生の二人組は振り返って「え、すごっ、あんなの絶対ムリ、寒くて死ぬ」と感心していた。
こちらからは短いスカートから見えている彼女らの足の肌の面積は、彼の露出された手の面積とそんなに大差がないように見えた。

帰りに行きと同じ道を通ると、革靴は持ち主が取りに来たのだろうか、すでになくなっていた。
持ち主はうまく仕事を休めたのだろうか。
しばらく歩くと手袋は相変わらずそのまま置いてあった。

やはり手と足では少し違うみたいだ。