強訳 -強引な翻訳-

英字新聞の見出しを一つ翻訳する日記

12月17日

気が付くと音が鳴っていた。

ピリリリリというかビーンというか、小さいモーターの音のようにも感じるし古臭い電子音にも感じられる。なにか共振しているような音でもある。
そこまで大きくはなかったけれども、どこか気に障る無視できない音だった。

昨夜の少し眠気が出始めたころだった。
時計を見ると23時を過ぎていた。
いったいどこから音が鳴っているのだろう。いろいろな物に耳を当ててみたけどわからなかった。冷蔵庫でもないしパソコンでもない。照明器具に換気扇、いろいろ触ったり抑えたりしてみたけれどどれでもなかった。
椅子に乗りガス報知器に近寄るとその付近で音が大きめに聴こえた。
ガス報知器は天井近くの壁に引っ掛けるように取り付けてあった。壁からガス報知器を外して耳に当ててみたが、これでもなかった。
天井裏から聴こえるような気もするがどこから音が鳴っているのか、ついに正体はわからなかった。
それどころかいろいろな物に耳を当てて聴いてみると、実はどれもが微かにでも音を発しているようだった。
一見して動いてない物でも、すべての物は総じて振動していてブーンとかジジジジジとか音を発しているのだ。
そしてそれは今日だけでなくずっとそうであったのだろう。
むこうはいつも通りのはずなのに、昨夜の精神状態がそれを敏感に感じ取ってしまっていたのだ。
いつも通り挨拶をしてもなぜか怒られる朝があるように。

そういう時はいろんな音が気に障ってしまい、紛らわせようと何か音楽を聴いても音楽もどこかしっくりこないのだった。
特に人の声の入っているものはまずよくなかった。聴いていると、普段は気に入って聴いているはずなのに、そういう時は次第になぜかイライラしてしまうのだ。
持っている音楽の多くは声の入ってないタイプのものが多かったけれど、それもほとんどのものが長く聴いていられなかった。

でも何も受け付けないようなこんな夜に、手持ちの音源で今のところ唯一しっくりきたものがあった。
それがDerek Baileyだった。
一時期なぜかBaileyをよく聴いていたことがあった。その頃にそこまで良さがわかっていたとは思えないのだけれど、いつのまにか手持ちのCDの枚数は増えていた。その時はBaileyにこんな効能があるとは知らなかった。
だけどある時、昨夜のように何を聴いてもむず痒く、静寂さえも気に食わなかったことがあった。
いろいろな音楽を少しだけ聴いては気に食わず変えていた。

その時にたまたまBaileyの音楽のどれだったか持っていた一枚を掛けるといつも以上にピタッと気分と合ったのだった。

最近は聴く頻度も落ちていたが、それ以来こういう時のための気付け薬みたいなものとしてBaileyの"NEW SIGHTS OLD SOUNDS"というCDはいつも目につくところに他の何枚かのCDと共に置いてあった。
そしてそういう時のDerek Baileyは間違いがなく、目を瞑ってダラーンとしているところに、全身のあちらこちらから的確にツボに鍼を打つ、手練れの老鍼灸師のようだった。

The New York Times
As world leaders pour into Qatar, World Cup becomes backdrop for diplomacy
(世界各国の首脳がカタールに集結し、W杯は外交の場になっている)

CDは2枚入りで2枚目に取り換える頃にはすっかりリラックスしていた。
途中Baileyがピックを落としてそれを観客が拾っているやり取りも好意的に感じられた。
そんな風にして昨夜はなんとか過ごすことができた。

朝起きてとりあえずの珈琲を一杯飲み終えると、押し入れからBaileyの他のCDのいくつかを探して出しておいた。
そして気が付くと昨夜の音は聴こえなくなっていた。